映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」
を観てゴッホについて考える深夜🌙
ゴッホのことをまだ良く知らなかった若かりし頃は、彼独特の黒い線や、歪み、にらむような人物の表情、怖いほどにそびえるイトスギの姿を見ていると、エネルギーが吸い取られていくのを感じたものだ。
東京やアムステルダムやパリのゴッホ展に行く度に疲労を感じ、甘いものを食べてエネルギーを補給したい気持ちにかられた。
それは彼の事を一部分しか知らない無知さゆえで、ひまわりと夜のカフェテラスは好き、くらいの軽いものだったことが、歳を重ねるほどに分かってきた。
誰でも、愛する人にはそれほど気を遣わないのに、気難しそうな人には気を遣って疲労感を経験することがある。まさに絵画においても、それなのである。
作者の生い立ち、背景を知れば知るほど関心が芽生え、感情移入が出来るようになる。
今回の映画は、ゴッホを敬愛してやまないジュリアン・シュナーベル監督の深い愛情が至るところで感じられた。彼は有名な画家でもあり、今回は脚本も手掛けた。
観客が皆、ゴッホを知り、ゴッホを愛し、ゴッホに寄り添い、ゴッホの凄さに感じ入った作品であった。隣の観客も、またその隣の観客も、良かった!と呟いた。
先日上野の森美術館のゴッホ展に足を運んで、初期の珍しい作品の数々を楽しんだ。私は既にゴッホに寄り添い歩いている。ゴッホからエネルギーを吸い取られることももはや無い。むしろエネルギーを貰った。愛を貰った。ゴッホが大好きになっているからである。いわゆる定番の作品は無いが、永遠の入り口にて、じゃがいもを食べる人々などのリトグラフ、耕す人、籠を編む農夫などの油彩、雨というタイトルの水彩画など、味わい深い作品が沢山あった。
(ここからはネタバレになりますので、これから映画「永遠の門」をご覧になる方は先ず映画館へどうぞ。)
映画は、ゴッホの心の叫びから始まる。仲間になりたい…一緒に座って…ワインを注いだり…誰かをスケッチしたり…女性がお腹すいてない?ハムはどう?チーズは?と聞いてくれたり…。
誰にでもありそうな日常がゴッホには無かった。ただ孤独と貧しさの中で肩をすくめて佇んでいる。
個展をしても、罵倒されるも誰ひとり彼の絵を理解しない。唯一の味方は弟テオのみで、あとは、型にとらわれないゴーギャンが友人だった。
木枯らしのアルル地方の暖房もない部屋で、靴ひもをとき、古びた靴を脱ぐ足の部分にだけカメラのアングルが揺れ動きながら近づく。レンズは次に絵の具、筆、を揺れながら映していく。この微妙な揺れ具合に乗り物酔いしそうになった。ゴッホの心の不安定感、悲しみ、孤独、静寂が、無言のうちに伝わってくる撮影方法だと感じた。
冬枯れしたひまわり畑を歩く足元だけにアングルが迫り、彼の荒廃した心の叫びが、枯れてうつむいている大きなひまわりに投影される。それでも歩き続ける。力強くたくましく、大地を踏み進み、歩いて歩いて、季節が変わり黄金色の陽の風の中、緑を分けて、木々の空を仰ぎながら、イーゼルを背負って歩き続ける。土を手に取り、草むらの上で寝そべり、大地の一部となり、握りしめていた土を顔にかけて、自然と一体になる。ようやく安堵したのか静かな微笑みを浮かべる。
カフェを営んでいるジヌー夫人から、何を読んでいるの?聖書?、と尋ねられ、シェイクスピアと返答する。彼は無学ではない。
ゴッホは1853年、オランダ南部の村の牧師の長男として生まれ、子供の頃には学校に馴染めなかったという。大人になり職を転々とするもうまくいかず、聖書の勉強をし、せめて伝道師になりたいと、ベルギーで伝道師見習いをするも、採用はされなかった。原因はただ、子供の頃から人とのつき合いが苦手なのである。33歳の時にパリの画廊に勤めていた弟テオと共に住み、パリの印象派と日本の浮世絵に開眼する。浮世絵の世界にある色鮮やかな南仏のアルルに移住し、太陽の光を浴びた彩りの作品を仕上げていく。
映画の中で、ゴーギャンにどこに住むのかと聞かれ、ゴッホが日本は?と答えるシーンがある。それほどに日本に理想を持っていた。その時二人で来日していたら、二人の人生はもっと早く開花したような気もしないでもない。ゴッホは日本人の性格とマッチしていたかもしれない。だからこんなにも日本人に愛されるのか。
ゴーギャンがアルルにやってくる。人と話すのは数日ぶりと子供のように喜ぶゴッホ。
共同生活を始めるものの、絵画についての意見が違う男二人が仲良く住めるはずもなく、わずか2ヶ月であの有名な耳切り事件で幕を閉じる。
ゴーギャンは、ゴッホとは対照的な性格ゆえ、絵の描き方も色の趣味も違う。違って当然なのだが、二人とも貧困のどん底なのは共通。
自然の本質の美を求めて手早く描いていくゴッホに、容赦なくゴーギャンは助言を与える。そして自分の絵が売れ始めたので、お前とはもう住めないと別れを告げる。
ゴーギャンの言葉のひとつひとつがゴッホの胸に剣のように突き刺さる。行かないでくれゴーギャン。再び恐怖の孤独と貧乏の中に突き落とされ、錯乱し精神不安定になり、ついに自分の耳を切り落としてしまう。
実はこの行為は狂気とは言えない。後に彼が医者に語る言葉にヒントがあるように思う。聖書には「もしあなたの右の手があなたをつまずかせているなら,それを切り離して捨て去りなさい。全身がゲヘナに落ちるよりは,肢体の一つを失うほうがあなたにとって益になるのです」とある。
ゴッホはゴーギャンの放った言葉に苦しめられた。しかし、ゴッホはこう考えた。耳があるゆえに彼の言葉が自分をつまずかせ、弱らせたのだ。例えとして語られた先のキリストの言葉を、ゴッホは文字通りに行ったのかもしれない。耳を切った理由は神しか知らない、購い(あがない)だと医者に語っているところからしても、そう洞察できる。
精神異常者だと街中で思われている中、彼は夜道で子供たちに石を投げつけられる。ゴツンゴツンと大きな石を二度も。その子供を追いかけて捕まえて、するとその父親に捕まり蹴りまくられ、スクリーンは暗転になる。ゴッホの脳が真っ白になるとスクリーンが真っ暗になり、しばし観客はゴッホの脳に同化させられる。
テオが病院まで見舞いに来て、兄を抱きしめる。聖書をもとに牧師の息子として育った二人の兄弟愛と絆はとても強い。裕福では決してないテオは、ゴッホに全部で1800万円の生活費を仕送りしていたという。その中には画材も含まれる。ゴッホは黒の絵の具はいらない、と伝えていた。黒は残った何色かを混ぜると出来るからだ。上野の森美術館で得たこの絵葉書の花は、ゴッホがテオから送られた絵の具の色を確かめるために描かれたそうだ。
兄の才能に最初に気づき、最後までその才能を信じて疑わなかったテオ。そのために私財を投じて兄を養った。ゴッホ亡き後、後を追うかのように病死したテオ。その妻ヨーが、テオに代わりゴッホの絵画を守り続けたのである。
テオとヨーには見えていたのだ。
自然界の全てが神のエネルギーに満ちていることを知っている兄の作品のただならぬことを。自然界にあるものたちが、イトスギにしろ根っこにしろ花にしろ、光に満ち、喜び勇んでいるその姿、ただの人には理解できない深いところで神のそれら創造物と心が繋がり、その美しさに魅了された兄の作品の数々のその清らかさ、その力強さ、その生命力を、弟夫妻は深く理解していたのである。
ゴーギャンも「君だけが自然の前で思考する」と手紙に書いている。創造者である神について思考しているのである。
精神疾患の療養施設で、ゴッホは神父に呼び出される。冷ややかな表情の神父は辛辣な質問をゴッホに浴びせる。ゴッホは顔色ひとつ変えずに淡々と語る。自分が画家であることを。神父は彼の絵を手にして嘲笑するが、キリストも処刑された時に、まったくの無名だったと述べ、人に不快を与える画家としての才能も時を間違えただけで、未来の人のためにある、と語る。この場面は、神父が、精神疾患だと思っていた相手の信仰の深さと謙虚さに触れ、口もとが恐れ入ったかのような表情へと変わっていくのが興味深い。終いにはまた話に来てくれ、とまで言わせてしまうほどにゴッホの神への愛は本物だった。
この時カメラアングルが両者の顔をアップで映す。神父のゴッホへの不信感が少しずつ消え、神を前にして二人の信仰と懐の深さを、短い会話で表した宝石のような台詞が続く。硬い表情が少しずつ解ける名場面である。
永遠とは来たるべき時のこと
神は僕を画家にした
自分の絵は世界へのプレゼント
病は時に人を癒やす
見えぬものに心をとめる
神父はまだこの霊的な話の通じる人物と会話したいと思うが、ゴッホはキリストの例をあげる。キリストを磔刑にしろとユダヤの群衆にあおられ、その勢いに恐怖を覚えたローマ総督ポンテオ・ピラトが、あなたはユダヤ人の王なのか?とキリストに尋ねた時、「あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」と述べたことにより、結局磔刑になったことを思い出させ、これ以上は話さない方が身のためだ、と滔々と聖書から回答する患者を、この男は正気だと気づき、退院させる。
平らな風景を前にすると、ゴッホの目には、永遠しか見えない。
神と語り合うかのように、また風と光に匂いを感じるかのように、大地を強く抱きしめる。
存在には、理由がある!
畑でお腹を抑え、傷口をふさぐかのように宿に戻ってくるゴッホ。銃弾が撃ち込まれている。ベッドに横たわるゴッホ。ひとつ確かなことは、警察に自分で撃ったのかと尋ねられ、「誰も責めないでくれ」と答えていることだ。
自殺、少年による他殺と、説はいろいろだが、ゴッホはこの時期、80日間に75点もの作品を描いている。精力的に描き続けている37歳の男性が自殺するであろうか。全ては闇だが、この映画の結末は、聖書のかなめとも言える神の愛、つまり自己犠牲アガペー愛の結晶を見事に描いていた。
1世紀当時、旧約聖書から逸脱し腐敗していたユダヤ人に「かたくなで,心と耳に割礼のない人たち,あなた方はいつも聖霊に抵抗しています」と果敢に語ったキリストイエスの弟子ステファノが、民衆から石打ちの刑にされる。新約聖書の使徒の活動7章に書かれている。心と耳に割礼がないとは、心と耳が清くない、理解しない、ということだ。その光景は頭に描いただけでも恐ろしい。石打ちにされながらも、天を仰ぎみ、神に祈ったステファノの言葉が脳のひきだしから出てきた。
「エホバ(ヤハウェ)よ,この罪を彼らに負わせないでください」
ゴッホは唯一の友人ゴーギャンの言葉を忘れようと耳に割礼を、つまり切り取った。そして自分に石を投げた子供について語らず、自分に銃口を向けた若者に罪を負わせないよう、自己犠牲愛ギリシャ語のアガペー愛を示して死んだ。この映画の中で、ゴッホはキリスト教徒が皆思い出しては憧れ慕い涙するステファノをモデルとして描かれているのではないだろうか。
ヴェネツィアには彼の名の広場と
教会もある。
ゴッホの棺の周りには生前描いた絵画が所狭しと飾られていた。
ゴッホは絵画の中の光に満たされ横たわる。孤独と貧困という苦痛から解かれ、未来の世界の我々に神の真理の光を放った。その輝かしい光は100年以上の時を超え、わたしたちの目の前に現れ、口下手だったゴッホが絵を通して今でも神の存在を伝道し続けているのである。
作家の原田マハ著
「たゆたえども沈まず」
を読んだ。
パリは何度も水害の危機に直面している。セーヌ川が氾濫し、シテ島が水没し、洪水が起きる度に、水底に沈んでしまうかのような光景。そして再び船乗りたちの前に姿を現す。どんなに沈んでも、流れに逆らわず、激流に身を委ね、やがて立ち上がる。それこそがパリなのだ、とマハさんは書いている。
まるでゴッホの人生そのもののようだ。ゴッホは、たゆたえども沈まなかった。孤独と極貧の中にありながら、神を友にし、実に美しい人生を送ったのである。彼の作品は沈むどころか、高々と掲げられ、世界中の人々を魅了し続けている。
台風の影響で、日本各地にも洪水が起きた。今なお多くの人が苦しんでいる。
たゆたえども沈まず。どうか再び浮上して欲しい。天に高くそびえ立つイトスギのように。神に支えられ、テオに支えられたゴッホのように。
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