八月半ばに、避暑に行ったつもりの軽井沢が意外に暑くて、泊まったホテルもエアコン無しではいられなかった一週間。
柔らかなはずの陽射しもギラギラしていて、木々の緑もどこかしら濃い色の避暑地。
滞在目的はゴルフ。
フェアウェイに涼しい高原のような微風の吹き抜けるイメージが、ゴルフ場から地面からの照り返しで紫外線もマックスに強いです、との知らせが届く。
フェイスガード(耳に掛けて顔を覆うゴルフ用UVカットの布)を探しに軽井沢アウトレットに行くものの、そんな安くて気の利いたものはアウトレットには置いていない。
これはもう、マスクで代用しよう!と決めて、約5時間のラウンドをマスクでチャレンジしたところ、あまりの暑さに顔が猿面患者のごとくに赤く腫れちゃいましたよ〜💧しかも当然マスクがUVカットではないので最悪〜💦
どなたか新商品開発してくださいね。
そんな避暑、ではなく迎暑旅行になってしまいましたが、帰る前の日に、友人が東京から軽井沢に来るというので、万平ホテルで到着を待つも、高速道路が渋滞で、時間が定まらないとの連絡。
仕方がないので、万平ホテルのロビーで珈琲を飲みながら、時間潰しにホテル内の入り口近くの小さな画廊へ入ると、目の前にいきなりドラクロワの絵があるではありませんか。
近寄ると値段が240万円。
「なんでこんなにお高いの?!うちにあるドラクロワ売りたいわ〜」と呟くと、大トトロが直ぐに「それは原画だよ、うちのはリトグラフだから安い」と、よく見ると原画と書かれていましたよ。画商もクスクス笑っています。
その横に目をやると、今度は大好きな梅原龍三郎の薔薇の油彩が…。値札には1900万円と書かれています。
「横須賀美術館の朝井閑右衛門の薔薇は3600万円以上するから、これはこんなものでしょうね」
と眺めていると、画商様が
「横須賀美術館にいらしたんですか」と声をかけてきたので
「彼の絵は、もっとゴージャスな薔薇ですものね〜。それでも1900万円なんて、軽井沢の別荘が買えちゃうわね」と話すと
「そうなんですよ、でもこれはあっという間に売れちゃいますよ。今日はこれからユトリロが入荷しますが、8000万円ですから」
「えー?そんなのがここに来ちゃうの?!」
「それも数日で売れますよ」
「やっぱり別荘をお持ちの大金持ちがいらっしゃるんでしょう?」
「そうですね、もうね、買った次の日に、買い物のビニール袋に現金ぶら下げてやってきますよ、帯付きの、無印のね!」と画商様は嬉しくて仕方ないというご様子。
「もし買い手がつかなかったら、丸を二つとってくださったら即買いしますからご連絡くださいね」
「あははは〜、分かりました!」
などとふざけ合って、またロビーに戻るも、友人はまだまだ到着出来ない様子。
大トトロが「あっちで、ガレの展覧会してるみたいだよ。」と指差す方をみると、大きな垂れ幕までかかっている上に、本日最終日の文字が…。これは良い日に来たわ。ガレ好きの私は目の保養がしたくてスタスタ歩き出し、隣の赤い屋根の棟に移動し、中に入ると思わぬ大会場。
左側にはズラリとガレの作品が並んでいるのです。走り寄るかのように近づいて、まぁ、素敵!と大トトロとあーだこーだと言いながら鑑賞散歩していると、担当のお兄さんが、「これは、ガレの得意とするトンボの絵で、人気の作品です」と近づいてくるので、素敵ね〜と同調すると、その作品の名前が書かれているフダをヒョイとひっくり返して、こちらはこのようなお値段です、と愛嬌の良いお目目でこちらを見るので、売り物なの?と驚き、どれどれ、と確認すると、なんと260万円とのこと。中には売約済やら相談中などと書かれたフダもある。
これまで北澤美術館で散々ガレの価値は理解しているものの、こんな場所で値段を見せられても意味がないので、またまた「丸が二つとれたら連絡してね」とこちらもご愛嬌を言う。営業マンは、ガレでこんなに安いのは珍しいですよ!などと言いながら、ずっと私たちについてくる。「分かっていますよ、私、あまりにガラスが好きで、自分の小説の主人公のヒロインをガラス職人にしたくらいですから〜」と切り返すと、まだまだついてくる。
会場の真ん中あたりで、ふと目をやると、何やら私の好きな匂いが…マイセンがほんの少し置いてあるのです。それもすべて食器。
「あらま、マイセンまであるのね〜」
「マイセンお好きですか?」
「ヘレンドも好きだけど、やっぱりマイセンが好きかなぁ」
「ガラスが好きって仰ったじゃないですか」
「ガレは美術品だから日常使いにはなれないでしょう。マイセンのこんなお皿は毎日使えるじゃないの」
「このお皿はこのお値段です」とお皿の後ろにシールが貼ってある。高い、高すぎる。
「マイセンは私もよく知っているけれど、この虫の絵ね、これが高いのよ。この周りに何匹いるか、小花がいくつ描かれているかで、マイセンの価値が決まるのよ、これはお皿としては最高峰ね!」
「よくご存知で!」
「以前、ポーセリンの絵付けを2年勉強していたから、この虫の描き方が尋常ではないことくらいは分かりますよ。」
「このマイセンの虫はどのような描き方なのですか?」
「大胆にして繊細、こんな描き方出来る人は超一流ですよ、マイセンの職人でもなかなかいないですよ」
と無駄な会話をしているところに
フランス人のような背の高いハンサムな営業マンがすっくと現れたのです。
流暢とは言えない日本語で、
「あなた よくしってるね マイセン すばらしいよ!」
「そうですね、すべて手描きですし、絵付けも一流ですね。でもね、このお皿で食事するのは、虫が入っているみたいで嫌だ、なんて言う人もいるんですよ」
「そうだよ〜、フランスでもそう むしがきらい、むしいるから いらない いうね〜コイツだよ コイツ!!」と
そのフランス人はお皿の中の虫を指差して熱く語りはじめるのです。
ついつい、
「コイツ、って…、貴方が言っているコイツがいるかいないかで、マイセンの値段も違うのよ〜コイツじゃないわよ、このかただわよ〜」とこちらも笑いながら熱くなると「そうなのよ コイツ かくの たいへん! にほんじん ぶっきょうだから むしのいのち たいせつにします むし すきよね でもフランスじん
むしなんか いらない にほんじん ふうりゅうだからわかるね〜それはきょうよう〜」
「キリスト教徒だって、神の創造物としての昆虫の美しさを理解していると思いますけれど?」と気づいたら、さっきのお兄さんが椅子を持ってきて、いつのまにかマイセンの前に座っている私。お兄さんがビビりながら、この方が社長です、と耳元で囁くので、あらま、社長でしたか、失礼しました、と述べ、私が描いたお皿の写真をお見せしたいわ、とスマホに入っている写真をお兄さんに見せて自慢しまくり〜をしてしまいました。
すごいすごい!の連呼。
フランス人の社長さんまでが覗き込み「あなた こんなに かけるの〜?じょうずね〜。マイセンいいでしょう わかるね〜」
「わかるけど、描けるから、お皿はいらないのよ〜」
すると日本人のお兄さんスタッフが、
「奥様みたいにマイセンを理解している方は少ないですよ。そういう方に購入して頂きたいんです。このお皿たちは奥様のお宅に行きたいと思っていますよ」などと、営業トークの甘い誘惑が止まらない。
フランス人社長が、「ここにあるもの、フランスのおおきないえ、こどもたちが
かちがわからない おとうさんおかあさんがしんで いえをうるとき シャンデリア しょっき かぐ ぜんぶまとめて てばなします みんな かちがわかっていないよ〜 」と嘆いているので、「日本も同じですよ。先祖伝来の骨董品や古美術品、何でもまとめて売ってしまいお金に変えちゃうもの」「そうよ きょういくが まちがっているから かちがあるものが わからない〜 べんきょうばかりで、たいせつなこと おしえない もっと きょうよう スポーツ なんでもおしえてないと よのなか だめになるよ」
「そうですよね、もっと歴史や文化、芸術についても伝えていかないと…」と意気投合したところで、この人の子供はそういう教育を受けたのかしら、とふと思いつつ、今更ながら、「社長さん、フランスの方ですか?」と尋ねる私。
すると
「わたし フランスないよ、イラン イランじん ですよ」
「あら、イランの方でしたか。私、イラン人の友達がいますよ。」「だれ?」「ナリジャバディファーム 知ってる?」「しらない どこでしりあったの?」「フィレンツェのホテルです。彼とエレベーターで一緒になって、朝食の時にお喋りしました」「イランじん フレンドリーだから はなしかけたね?」「私がフレンドリーだから話しかけたのよ。彼は一人で寂しそうで、その日に一緒にヴェニスにも行き、電車の中でアイパッドで、イランの綺麗な風景をいっぱい見せてくれましたよ。職業は建築設計だと言っていました。毎年クリスマスにイランからメッセージがメールで届くのだけど、イスラム教徒でもクリスマスするの?」
「するひとも しないひともいろいろよ〜、イランには キリストもユダヤもいろいろいるよ、ムスリムだけじゃないよ〜」「そうなんですか。遊びに来いって言われているのだけど、イランまではなかなかね〜やっぱり女性は頭にスカーフとかするのでしょう?」
「とうきょう ちいさな りょこうがいしゃ あるよ、そこならあんしんして
イランいける じょせいは かんたんな
スカーフ だけね それで だいじょうぶ」
すると、それまで沈黙していた大トトロが「シリアにもヨルダンにも行ったよね」というものだから、社長が驚いて
「いつ?さいきん??!」と目を大きくして聞くので、「違いますよ。今はシリアなど怖くて〜。20年前ね。ダマスカスがまだ美しい街だった頃です。」「あぁ、びっくりしたよ〜」
「シリアでね、モスク見学があって、私はクリスチャンなものだから、モスクには入らなくていいわ、と言って入口の市場で待っていたんですよ。すると十数人の男の人たちに囲まれて、あなたはなぜモスクに行かないのか?って聞かれたので、当時は何も考えずに、
「I am a Christian.」
と答えてしまったんですよ。そうしたら、クリスチャンには見せたいものがある、と突然わたしの手首を掴んで引っ張るんですよ。連れ去られちゃうと思って、手は掴まれたままで、その場に座り込み、
「I am tired. I am tired.」
わたしは疲れた〜を連発したんです。そうしたら、誰かが走って行って、数分して戻ってきたら、私に真っ赤な液体のコップを差し出して 飲め!と言うので、受け取って、匂いをかいだら、どうもジュースみたいで、飲んだらザクロのジュースだったんですよ。優しかったですよ〜。なのに戻ってきた主人が、なに飲んでるんだ〜!って怒っちゃって恥かいたわ」「それちがう だんなさん ただしい おんなひとり ありえないよ だんなさんのそば はなれたらだめ」「そうなの?」「おんな ひとり つれていってもいい そういうくに」「でも優しかったですよ。ザクロのジュースは美味しくて最高でした」「やさいくない! やさしいの ちがう イスラムじん みんな にほんのじょせいに きょうみある みんな にほんの じょせい すき ほんとよ」「なんで日本の女性が?イスラムの女性の方が魅力的じゃない」
「う〜ん…、にほんじん ちょっとちがうよ みんなきょうみあるね〜」「興味があるなんて嬉しいですね〜、これからお嫁に行きたいわぁ〜」「あなた、たいへんなこといってるよ〜!だんなさん いるよ〜!」大トトロがいつもの全く動じない、又は関心のない顔をして、マイセンを手に取り眺めている。このイラン人社長は私のおふざけも理解しないで、中身はかなり真面目な人だと思いながら、またマイセンに目を移すと、線のひとつひとつがあまりに繊細で美しい。虫も花も生きているように描かれている。
日本人営業マンお兄さんは、ついに電卓を取り出し、最終日だから半額にする上に、まだ値下げすると迫る。電卓の数字を見ても、普段使いの食器にはあり得ない。◯◯円にならないか、社長に聞いてみて!と、こちらが完全にのせられてしまう始末。
大広間の隅で、二人が小声で検討中。値切り交渉まで漕ぎ着けられて、参ったなぁ、と内心困惑していると、お兄さんがまた電卓の数字を見せる。「これ、私にはとても無理よ、ひと月の生活費だわ」「ご主人のカードで買えますよ」「銀行にないとカードでも買えないわよ〜もう少し何とかならないの?」お兄さんがまた社長のもとに走り去る。
「これ以上はもう限界で」お兄さんの顔も青色吐息。
「あなたたち、ここで私が買わなかったら、このマイセン、梱包してまた新幹線で持ち帰るのでしょう?プラマイゼロの値段にしてよ」と、暇つぶしに更に値切り交渉を楽しみながらも、買う気などない私。
すると大トトロが
「こんなマイセン、ドイツにもないからね!あとで後悔しないでよ!」などと、耳を疑いたくなるような発言を大声でしてくる。どうしてここで店の味方になるのよ。
お兄さんが「これではどうですか?ここでもう限界です」
大トトロを見ると、「いいんじゃないの〜?」などと気楽なものだ。旅行中、無駄遣いはやめよう、と話していたばかりなのに…。
でもまぁ、いつの日か絵付けを再開する時に、完全なる教科書代わりになってくれるはずだわ。そんな日がくるかわからないけれど〜。自分を納得させる理由を見つける。
交渉成立!!
あ〜ぁ、またこんな非日常のものを…
大トトロは「いったか〜〜」と満足げ。お金もないのに、本当に理解不能な人ですよ。止めてくれれば良いのに。
そこへ社長が近づき、「あなたのえ うまいよ しごとになる 」「仕事?」「そう うちのかいしゃ あなたのえ かいてうるね 」「ナンチャッテマイセンですか?」「そうよ おとくいさまに あなたのえざら うれるよ〜」
どうして私がこの社長のもとで絵皿描きしながら生きていかないといけないのよ〜〜💦
梱包されたマイセンの大きな袋を、大トトロが小荷物のように持ち、社長とお兄さん営業マンにお礼を述べて会場を出ようとしたら、他にもスタッフたちが並び、ありがとうございました!と頭を下げている。最初に桁の違う絵画を見過ぎて、ガレも見て、値段の感覚が完全に麻痺し、アンティークのマイセンを安いと錯覚したのは事実だけれど、あのイラン人にしてやられた〜さすがは社長だわ〜負けた気がする〜悔しい!と大トトロに話していたら、万平ホテルの敷地内駐車場へ続く小径で、彼が何やらスマホでググっている。木陰がひんやりと涼しい。
「あ、そうなんだ、そういうことかぁ。なるほどね」などと、ご満悦で車に乗り込む。「なにが?どうしたの?」「今のイラン人の社長だけど、ダルビッシュ有のお父さんだよ」「え?え〜?あのダルちゃん?」「うん」「ママ(私の母)のお気に入りの?こんな仕事してるの?ほんとに?」「ペルシャ絨毯もあったでしょう。そういう仕事してるって聞いたことあったんだよね〜」車が走り出す。
「そんな〜、だったら記念写真の一枚くらい一緒に撮って貰いたかったわ」「また、来年ね」「来年も展覧会、やるの?」「毎年この時期、やってるんだと思うよ」
気の長い話である。なんだなんだ〜、ダルちゃんのお父さんだったなんて〜、知っていたらあんなにねぎりたおさなかったのにぃ、恥ずかしいわ、一緒に仕事もしたいわ〜、ダルビッシュのお父さんでしょ〜?!失敗した〜!だからハンサムなんだ〜!
車中では久しくこの会話が続きました。結局、友人の到着は3時間も遅れ、そのせいで、私はとんでもない買い物をしてしまったのです。
知らぬが仏といいますが、知っていたらどうなっていたことやら。無知ほど怖いものはない、とはこのことだわ。
次の日、帰宅してから早々に、大トトロがボンゴレパスタを作って、ダルちゃんマイセン皿に盛り付けてくれました。
また次の日には私が、軽井沢の信州キノコで作った三種のキノコの酢辣湯をそそぎ入れました。
毎日、重宝しているといいますか、させている次第でございます。お気に入りの食器に手作りの美容食を盛り付けて、女子力アップしなきゃね。
ダルビッシュ有のあの静かな佇まいは、父親のそれと同じDNAでしたよ。また軽井沢でお会い出来ますように。。。