妻の目を盗んで骨董収集している旦那衆が毎週、鑑定団なるTVに出てきますね。
コレクターは、不思議と男性が多いですね。
何をそんなに無駄なものを集めているの?!
大抵、キッとなるのは、奥様方。
骨董ならまだしも、うちの大トトロなんぞ、店々のマッチ箱だの銀座のクラブの名刺だの、捨ててもいい?と聞かなくても捨てたくなるようなものばかりを、己の収集癖に任せて積み上げているから、かなり滑稽ですよ。しかも4000冊以上の本本本…床が抜けるのも時間の問題ですよ💧
しかし、1900年代初め(1910〜1921年頃)戦争より平和を選びし眼力と心で、ある物品をしかも海外で、大量収集した人物がいたのです。
多少ネタバレになりますので、著書をお読みになる方はここまででお願い致しますネ m(__)m
その名は、松方幸次郎。
1866年1月、薩摩藩の藩士、松方正義の三男として生まれ、父、松方正義は第4代、第6代と、内閣総理大臣に就任しています。
その三男坊の偉業、「松方コレクション」と聞くと、あ、それ聞いたことある、となる若い方も多いことでしょう。
中学校の美術の教科書に載っている、ロダンの彫刻や、ルノアール、セザンヌ、モネ、マチス、ゴッホ、ピサロ、ドガ、ゴーギャンなど、印象派の画家達の、絵画(フランス語でタブロー)を多額の自己資金で短期間に買い集めた日本人です。
現在、上野にある国立西洋美術館は、松方美術館といっても良いほどに、彼は実業家からタブロー(絵画)のコレクターへとハマっていったのです。
そこには一寸の拝金主義の
利己的な理由などなく、
ほんものの絵を見たことがない日本の若者たちのために、
ほんものの絵が見られる美術館を創る。
それがわしの夢なんだ。
の一途な思いだけでした。
現在は、ネットで何でも閲覧出来ますが、ほんの100年前には、西洋にどんな絵画があるのかを知っている人が日本にはほとんどいなかったのです。
今まで考えてみたこともありませんでした。どうして上野をはじめ、日本にはあんなに沢山の西洋のタブローがあるのか。韓国にも中国にも西洋の美術館などないでしょう?
国立西洋美術館の、誕生までに隠された秘話、西洋の絵画を収集する、壮絶な歴史小説が軽快に描かれているのが、
今、本屋に平積みにされている、原田マハ著『美しき愚かものたちのタブロー』です。
今月の文藝春秋で、原田マハの作品について触れられている記事があり、そこには、1921年、田代氏(本名は矢代幸雄氏)という、ヨーロッパに留学中の美術評論家が、松方幸次郎に付き添い、よくわからん、と松方が絵を見て言うたびに、稀代の傑作ですよ!買いですよ!とアドバイスする、ハラハラドキドキの場面がいくたびも出てきます。それらの絵画が多くの荒波を乗り越え、いま名画として日本に存在しているのです。
直木賞候補作品だったようですが、賞などとれなくても中身は一読の価値あり、です。一家に一冊と言っても過言ではありません。
ページを開くと、いきなりクロード・モネの、壁が360度の睡蓮で有名な、パリのオランジェリー美術館から、話が始まります。
松方幸次郎は、モネに出会い、その3年後、またジヴェルニーのモネの家を訪ね、親睦を深めます。
この度は、池のほとりで、モネと松方幸次郎氏と同行者田代氏が、どんな会話を交わしたか、その会話がなんとも魅力的で、モネの、松方の、田代の美しい人がらがにじみ出てくる庭の風景。
松方幸次郎は、日清、日露、第一次、第二次世界大戦を経験し、平和とは何か、人間の幸福とは何か、をタブローを通して知り、一心に生き抜いた人物であり、子供の頃から、父親が特別に目をかけただけある才覚の持ち主でした。
パリで買い集めたはいいが、戦争が始まり、どうしたら、日本にタブローを送れるか…、送れない…、全資産を投じて、買い集めた絵画たち、約900点の作品はロンドンの火災で焼失、パリの約400点も、歴史は松方のタブローに、非情な現実という鎖を付けて、いわばパリに拉致状態の目に遭わせます。
当時、絵画の価値の分からないドイツ軍はパリに侵攻。松方のタブローたちは、1921年ロダン美術館に預けられます。
ロダン美術館も膨大な量に困り、松方コレクションの一部が保管料代わりに。
ロダン美術館が、そのようなお役目を果たしてくれていたとも知らず、私は以前のパリ旅行で、ロダン作の、罪を犯したエヴァの銅像横で同じポーズをとり、ふざけていましたね💧
ロダンの、考える人、の前でも💧
(ロダン美術館にも国立西洋美術館にもエヴァの彫像がありますが、松方が購入したものはロダン美術館にあるこの写真のもので、日本に返されたものは、新たに鋳造されたものか、岩に立っている別もの、との資料もあります。)
どのようにして、それらを日本に持ち帰ることが出来たのか、松方亡きあと、1953年5月、大磯の吉田茂邸にて、吉田茂総理大臣が立ち上がるのです。田代氏との密談。勇敢な人情ある男たちが、タブロー返却のために、大磯の庭で、残りの人生をかける会話と様子が、大変興味深いです。
総理の命を受けてパリに発つ田代、浮浪者と見間違うほどの極貧になりながら、亡き松方の使命で、パリでタブローを守り抜いていたもう一人の男、日置氏(元パイロット)。涙無しでは読めない、ドラマチックな内容です。
以前、パリに行った時に、今では観光名所になっているジヴェルニーに足を延ばし、モネの睡蓮の風景を観てきました。日本を愛していたモネ。家の中には、あちらこちらに、日本の浮世絵が飾ってありました。松方幸次郎は、そんなモネが好きでした。
蓮の池の太鼓橋も、風に揺れる柳もまた、日本をモチーフにした庭づくりなのです。
その庭にキャンバスを広げて筆を動かしていたモネ。その描いている絵を欲しい、いや、家の中にある絵を全部買いたい、と告げる松方。生存しながら、絵画が売れた画家はモネくらいだったそうで、ゴッホも一枚きりだったとか。
今や桁違いの値がつくタブローたち。
戦勝国フランスが、敗戦国日本に、どうぞ〜などと簡単に返還するはずのない名画たち。日本とフランスの交渉がどのように行われたのか、フランスにとっては、我が子を貧しい国に嫁がせるような心境。日本にとっては、拉致されている我が子を奪還したい心境。
嫁がせるには、立派な家を建てよ! フランス国家からの条件です。
フランスの建築家、ル・コルビジュエの設計による建築で、1959年6月10日、上野に国立西洋美術館がついに誕生お披露目となるのです。
そして今年は国立西洋美術館誕生60周年。6月から9月まで、松方コレクションが開催されています。こんな機会を見逃せるはずがありません。これまで、何の疑問にさえ思わず、感心して眺めていた西洋のタブローたち。その裏舞台には、壮絶な日本とフランスの男たちの人生があったのです。
梅雨があけたら、上野へ散歩がてら、何度か足を運ぼうかと思っております。
チャンスがございましたら、皆で、ホンモノのタブローから元気をもらいましょう。
(中表紙)
松方幸次郎氏が、全財産を投げうち、美術館の幻を抱いたまま逝った今、彼の幻を現実に、この目に焼き付けることが出来るのは幸いです。
剣をすきの刃(農耕道具)に!
という、有名な聖書の言葉がありますが、剣をタブロー(絵画)に!剣を筆に!剣を芸術に!かしらね。
先日、行って参りました。
所在不明だったモネの睡蓮、観てきましたよ。まだ書きかけの未完成画を購入したのではないかしら、と思うほどに柔らかな色彩でした。