フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅のチケット窓口に向かう。
ヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅までの切符を購入。
一人57€。約6800円。
電光掲示板を見上げるも、乗る予定の10時15分発のヴェネツィア行き列車がなかなか表示されない。
もう10時過ぎだ。15分後には出発なのに、まだ大勢の人が何番線ホームに行ったら良いのか分からず、見上げたままだ。
これがイタリア事情である。日本の丁寧で正確な鉄道基準で考えると、ありえない。
10時9分になり、ようやく電光掲示板が入れ替わる。8番線だ!あと6分!
8番線まで大勢が荷物を引きずって走る。
指定席のチケットには、5号車とある。
まだまだ先だ。ホームをひたすら走り、7号車、6号車と続き、その次の車両に飛び乗る。走り続けて息が苦しい。
座席は9と10の共にC席。
大トトロは二個のスーツケースを仕舞うべく、列車内のスーツケース置場で悪戦苦闘。その間に、先に走って席を見つけ、バッグを置いてキープする女子力旺盛の私、自画自賛型。
列車内はボックス席になっており、隣にはローマから乗ってきた中年カップルが向かい合って座っている。既に挨拶してローマ在住と確認済み。大トトロがやってきて「ここ?」などとチケットを悠長に見比べる。
そこへ後ろから次々乗客が入ってきて、チケットを見ながら、そのローマカップルに、その席は違うと告げている。しかしカップルはここは6号車だ、正しいと反論。
6号車?
え? ここは5号車ですよね?
後から来た乗客も5号車だから、席をどけと英語やらイタリア語が狭い通路で飛びかう。何がなんだかわからない。大トトロは通路反対側の4つ空いている席に避難移動してまったり傍観。
列車の通路に人が詰まり、席が違うだの号車数が違うだの、もっと先へ歩けだの、みなパニック状態。もう出発のベルが鳴りそうだ。しかしイタリアはベルが鳴らない。いきなり発車する。日本の駅のように、出発します、白線までさがってください、などの過保護なアナウンスは皆無。自学自習、自主自立の鉄道事情。
中年のイタリア人カップルは平然と座ったまま。そしてここは6号車よ!と時々ジェスチャー付きで主張する。
一つ間違えたかしら…?
オロオロし始めたら、一番最後に乗ってきた日本人のお兄さんが、
「この列車に5号車はないそうです。指定席も適当に座って良いそうです!!」と日本語と英語で叫んだ。素晴らしいジャパニーズがいたものだ。
皆がざわつき、それぞれ近くの空いている席に落ち着き始める。鶴の一声で問題解決。
「5号車がないってどういうことよ、切符に書いてあるのに〜」
隣のカップルが、まぁ座ってゆっくりしろ、とジェスチャーする。こんなことは日常だ、と言わんばかり。
祖国がイタリアかもしれない、と勝手に妄想している私も、ここまでいい加減ではないわよ〜!と青色吐息。
大トトロも「さすがイタリアだな」などと通路の向こう席で、脚を伸ばして既にリラックス状態。
イタリアの列車は本当にいい加減なので、その都度いろいろな事が起きる。日本人のお兄さんのひとことに一瞬で救われた朝だった。
ヴェネツィアまでは2時間の旅。
ゴタゴタのせいで、中年カップルとすっかり仲良くなり、ローマにいる日本人の友人の話を聞いたり、二人はカップルかと思いきや、彼女が夫を亡くしたので、今日は友人である僕が付き添って彼女の故郷に帰るところだ、だの話はプライベートなことから、イタリアの宗教にまで発展し、手持ちのお菓子交換、名刺交換までして、お腹も満腹になり充実した2時間であった。
あっという間に、ヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅に到着。
日本ではヴェネツィアの水没の(アクア・アルタ)ニュースばかり見聞きしていた。
膝上までビニールを履いて橋の上を歩いている観光客が映し出されていたので、靴ビニールを買う覚悟をしていたのだが、晴れ女の異名を持つ私は見事にヴェネツィアに青空をもたらし、水没などなかったかのごとく昔の風景のままだ。
サンタルチアでチケットを購入し、船に乗る。昔に比べると日本人旅行客の姿はなく空いている。
船が動き出す。瞬く間に、懐かしき魅惑的なヴェネツィアの景色が、絵画のごとくに水しぶきの中を流れていく。
サン・マルコ駅に到着し下船すると、大荷物を抱えた大トトロが直行でホテルへ向かう。その数メートル後ろを、三歩下がって慎ましくついていく妻、その名は大和撫子。手にはバッグ一つの楽チン旅行がヴェニスでもスタートする。
つづく
ひと月だけのお試しあり!